30年。いまだに「あの時」の記憶ははっきりと残っている

雑感

今日2024年5月1日で丸30年になったことがあります。

 

そう。
F-1サンマリノGPでアイルトン・セナが亡くなった日から30年です。

 

今も「あの時」の記憶が鮮明に残っているので、

「もう30年になるのか…」

という時の早さを感じます。

 

 

「セナ・プロスト時代」が好きだった

F-1、最近は全然見ていません。
それどころか、近年のレギュレーションがどうなっているのかも全然把握していないので、私の中では1990年代からアップデートされていません…。

 

私がF-1を好きになったのは、アイルトン・セナとアラン・プロストのマクラーレン・ホンダが圧倒的な強さで、2人がチームメイト同士ながらバチバチのドライバーズチャンピオン争いをしていた頃からでした。1989年だったかと。

この当時はプロストの方が好きで、結局プロストが引退するまで「プロスト派」でした。

でも、だからといってセナが「嫌い」だったわけではなく、プロストを応援しながら「プロフェッサー(=プロスト)と天才(=セナ)の争い」を楽しく見ていた、という感じでした。

 

プロストがフェラーリ、ウィリアムズと移籍して1993年に引退し、「F-1の見どころが一つ減って、面白くなくなるかもしれないなぁ」なんて思っていた1994年の3戦目のサンマリノGPのことでした。

 

19歳の自分にはショック絶大だった

予選2日目にローランド・ラッツェンバーガーという選手が大クラッシュして亡くなるという事故がありました。
(その前日の予選1日目にルーベンス・バリチェロの大クラッシュもあった)

F-1での死亡事故は私が見た中では初めてだったので(後で調べたら12年ぶりだったらしい)、この時点で「F-1のマシンも必ずしも安全ではないんだ」というのを実感しました。

それまでは派手なクラッシュがあってもドライバーは平気なことが多かったので、安全なものだと思い込んでいました。

 

で、サンマリノGP本戦。

いつものように深夜の中継を見ていたら、あの大クラッシュがありました。

 

初めは「よくあるクラッシュの時みたいに、セナが立ち上がってコースから出ていくかな」と思っていたのですが、そんな様子はなく、むしろ時とともにセナを救出する人員がぞろぞろと増えてきて、ただごとではないことが見てとれました。

医者らしき人がいたり、搬送用のヘリがコース上に着陸してセナの搬送スタンバイ状態になっているし、ヘリで搬送された後にセナが救出され横たわっていたところが映し出されると大量の血の跡が残っていて、本当にヤバいんだと感じました。

後から本などで知ったのですが、クラッシュした時にすでに致命傷を負っていたそうでした。

 

それからしばらくの間は中断後のレースが放送されていたのですが、急に画面が切り替わってセナが亡くなったという生中継のアナウンスがされました。

 

少しパニクってしまい、また真夜中だったこともあり、生まれて初めて

「これ、夢じゃないよな?」

というセリフが出てしまいました。
(49歳になりますが、後にも先にもこのセリフが出たのはこの時だけです)

 

本当にショックでした。

30年経った今も思い出せるくらい。

 

30年は早かったか、遅かったか

30年と考えると、「あの時」の記憶がしっかり残っているだけに「早いなぁ」と感じます。

 

でも、この30年間で自分に起きたことを考えると、やっぱり「遅いなぁ」とも感じます。

何しろ、この30年で自分には

・大学卒業
・公認会計士試験合格
・監査法人就職と退職
・結婚
・子供が2人生まれて父親になる
・ボクシングやMMAが好きになる
・(どういうわけか)ウェイトトレーニングをしてゴツくなる
・(どういうわけか)長距離ランニングが趣味になりマラソンを走るようになる

といったことがあったので。

 

早い/遅いはともかくとして、今日で「あの時」からちょうど30年経ったんだなと、ちょっとだけ感慨にふけってしまいました。

 

 

 

 

 

書いた人

ダイ
ダイ
スポーツを見るのも好きなトレーニングジャンキー。サブ3.5を目指す(あと2分ちょっと…)自称中級市民ランナー。
見る方では、海外サッカー、マラソン、トライアスロン、格闘技全般、NBA、ラグビーが主な守備範囲。テニスもMLBも陸上競技も好き。
公認会計士 税理士
>>>詳しいプロフィール