本当の「天才」には尊敬以上の何かを思う
「神ってる」が2016年の流行語大賞になったから、というわけではないですが(笑)、実在した「天才」に関する映画を今年2つ見ました。
基本的に「天才」という言葉そのままの人は稀有だと思っていて、「天才」と言われているあらゆる分野の人も、大半は「努力の人」だと思っています。
ただ今年、アラン・チューリングの映画とシュリニヴァーサ・ラマヌジャンの映画を見て、「ああ、本当の天才って実在する(した)んだなぁ」と実感しました。
チューリングは映画『イミテーション・ゲーム』で、ラマヌジャンは映画『奇蹟がくれた数式』で知りました。
恥ずかしながら、2人の名前はそれまで知りませんでした(苦笑)。
映画で見た2人の偉業にも驚きでしたが、後になって知れば知るほど「なんて人なんだ!」とただただ驚愕でした。
特にラマヌジャンは別次元。
生み出した数々の定理や公式は、ほとんどが直感的に出てきたもので、「証明」をしないと数学者に認知されなかったのに「証明って、どうやって?」っていう感じだったそうで(汗)。
で、数学者によって何十年もかけて証明された定理や公式もあるようで、それをコンピュータのない(電卓すらない)第一次大戦あたりの時期に発見したというは、「発見した」というレベルではないんじゃないかと……
「タクシー数」という言葉を聞いたことはあったけれど、その意味を映画で初めて知りました。数字だけ聞いて、「それは……の数です」って言えるのは、もう人知の領域を超えているとしか言いようがない…(汗)
チューリングとラマヌジャンに共通するのは、短い生涯だったことです。
チューリングは41歳、ラマヌジャンは32歳。
「もっと長生きしていたら、もっと多くの発見・発明をしたんじゃないだろうか?」
と思うし、
「いやいや。短い生涯で誰よりも密度濃く生きて、十分にすごいものを遺したんだ」
とも思います。
「スゲーなぁ」とシンプルに憧れのような感じで思う一方で、天才ゆえに辛い思いも数多くしてきていたようなので、「同じ人生を歩みたいか?」と聞かれれば「う~ん…、ノーだろうなぁ…」とも思います。
「すごい人」のほとんどが努力によって「すごい」んだと思っているので、ただただ尊敬しています。今努力している人に対しても同じで、いろんなところから日々刺激を受けます。
でも、本当の「天才」に対しては複雑な思いがします。
天才ゆえに「苦労もハンパじゃない(なかった)んだろうなぁ」とか、「世の中に認めてもらえない間の苦しさって、どんなだったのだろうか?」とか。
本人の死後に功績が認められた人も多いので(ゴッホやガリレオもそうでしたね)。
「天才はすごいけど、凡人も悪くないな。でも、偉業を遺したことにはやっぱり憧れるなぁ」
とか(笑)、「天才」についてあれこれ思うことがありました。
ラマヌジャンの逸話はすごく興味深いので、関連本を読んでみようかと。
書いた人
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スポーツを見るのも好きなトレーニングジャンキー。サブ3.5を目指す(あと2分ちょっと…)自称中級市民ランナー。
見る方では、海外サッカー、マラソン、トライアスロン、格闘技全般、NBA、ラグビーが主な守備範囲。テニスもMLBも陸上競技も好き。
公認会計士 税理士
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