あれから30年。甦る1990年ワールドカップ イタリア大会の記憶【その1】

サッカー

Twitterのタイムラインを見ていたら、こんなツイートがありました。

 

30年前の6月8日、イタリアW杯開幕戦でカメルーン代表が世紀の番狂わせ

 

サンシーロスタジアムからの生中継を見て衝撃を受けた、あの開幕戦から30年も経ったとは。

この大会の記憶が甦るとともに、自分が歳をとっていることを痛感します(苦笑)。

 

 

思い出深い大会

1990年イタリア大会は……いや、イタリア大会【も】個人的に思い出深い大会です。
結果的に西ドイツ(当時)が優勝したのですけど、優勝した西ドイツにはほとんど思い入れはなく(笑)、むしろ西ドイツ以外の多くのチームが鮮烈に記憶に残っています。

 

アルゼンチン、初戦敗戦からの準優勝

まずは上のツイートに出たアルゼンチン。

開幕戦のカメルーン戦は衝撃でした。アルゼンチン勝利を信じて疑っていなかったので。

オマン=ビイクのあのヘッド。当時はボールをこぼしたGKプンピードに「何しとんねん!」と思っていましたが、大人になって見返すと、あの高さ・あの距離から叩きつけられるのは想定外だったので対処できなかったんだなと感じます。本当に衝撃でした。

第2戦のソ連(当時)戦で、そのプンピードが足を骨折して戦列を離れたことで「アルゼンチン終わった」と思っていました。代わって入ったセルヒオ・ゴイコチェアは、【あの時は】頼りなさそうに見えたものでした。

 

グループリーグを3位でギリギリ通過して、決勝トーナメント初戦が優勝候補ブラジル。
これで本当に「終わった」と思っていました。

が、ここでマラドーナでした。
あの試合、90分のうち85分ぐらいはほとんど目立っていなかったのに、あの勝負を決めたスルーパス。あれこそ本当の意味で「キラーパス」だと思いました。

 

次がユーゴスラビア(当時)戦。この時も「これで終わりだろう」と思っていました。

が、まさかの決着つかずPK戦。
まさかのマラドーナPK失敗。
まさかのGKゴイコチェア活躍。

さすがに「どうなってるんだ、アルゼンチンは!」と思ったものでした。

 

で、準決勝イタリア戦。イタリアは開催国で、開幕戦から全試合無失点。
当時からイタリアを熱烈に応援していたこともあり、「さすがのアルゼンチンもここで終わりだろう」と思っていました。

会場は、ナポリのサンパオロスタジアム。マラドーナにとっても「ホーム」。
にもかかわらず、マラドーナに容赦ない大ブーイング。
国家斉唱の時、マラドーナがずーっと「イホ・デ・プータ」と、口の動きではっきり分かるようにつぶやいていたのが印象的でした。
(言葉の意味は書きません。訳しにくい悪口なので…)

この試合でも「まさか」が続くとは思いませんでした。
イタリア初失点。
PK戦でゴイコチェアがセーブ連発。

後日談で、ゴイコチェアはあのPK戦の前、味方選手に

「1~2本は失敗しても構わんよ。俺が2~3本止めるから」

と言っていたそうな(ソースは、27~29年前に読んだ『サッカーダイジェスト』。もう持ってないけど(^^;))。
PKを待つゴイコチェアはすごく弱気な表情をしていたのに、内心そんなに自信満々だったのだと知って驚いたものでした。

 

決勝戦はまぁいいでしょう(笑)。

初戦の敗北から決勝まで勝ち上がっただけで、アルゼンチンは十分素晴らしかったです。
マラドーナは86年大会とは違ったけれど、やっぱり最後までマラドーナでした。

 

ヤバい。止まらない(笑)

当時のいろんなチームに対する思い出というか記憶に残っていることを書こうとしたら、最初のアルゼンチンだけで長文に(苦笑)。

今日はここまでにして、明日以降につづきます。
数回つづく見込みです(笑)。

 

 

書いた人

ダイ
スポーツをするのも見るのも好きなマルチスポーツプレイングマニア。
見る方では、海外サッカー、マラソン、トライアスロン、格闘技全般、NBA、ラグビーが主な守備範囲。サブ3.5を目指す現役サブ4ランナー。東京マラソンは13年連続ハズレで出走経験なし…。
BlackBerryとOAKLEYサングラスを愛用。
公認会計士 税理士
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