「サンプドリアのエース」と言えばこの人だった。若くして亡くなったのは悲しい

サッカー

「Mr.サンプドリア」と言うとロベルト・マンチーニ現イタリア代表監督が思い浮かぶ人が大半かと思います。メディアでそう言われていましたからね。

では、「サンプドリアのエース」と言えば誰かと問われれば、私は今でもこの人が真っ先に浮かびます。

 

ジャンルカ・ヴィアッリ。

 

後にユーべに移籍してスクデット&CL優勝に貢献し、チェルシーでもプレイングマネジャー(選手権監督)を務めるなどの活躍をしましたが、ヴィアッリは自分の中では今でも「サンプドリアのエース」です。

 

 

サンプドリア黄金期を創った一人だった

私がジャンルカ・ヴィアッリを知ったのは、1986年ワールドカップ メキシコ大会。
ほとんど途中出場でしたが、イタリア代表の背番号17を着けていました。
「アレッサンドロ・アルトベリの次は、この選手がイタリアのエースストライカーになるのかなぁ」
と思ったものでした。

 

ヴィアッリのプレーをたくさん見るようになったのは、1988年EURO 西ドイツ大会あたりから。
イタリア代表でスタメンになり、同じサンプドリアのマンチーニと2トップを組んでいて、「おお!あのヴィアッリか!」と思ったものでした。

 

1990~91年は強烈に印象に残りました。

ワールドカップ イタリア大会でもマンチーニとスタメン。
この大会で大活躍したのはサルヴァトーレ・スキラッチでしたが、要所要所でヴィアッリの活躍(貢献)がありました。

グループリーグ初戦のオーストリア戦は、スキラッチがファーストタッチ(ヘッド)で得点を決めたけれど、アシストしたのは右サイドでDFをかわして上手くクロスを上げたヴィアッリでした。

準決勝のアルゼンチン戦の先制点はスキラッチが得点したけれど、ヴィアッリがアルゼンチンDFに競り勝って打ったボレーをGKゴイコチェアが弾いたこぼれ球でした。

 

で、ワールドカップ後に始まったセリエA1990-91シーズンは、サンプドリアが優勝。
このシーズンのヴィアッリの活躍は素晴らしかったです。大一番のインテル戦(@ジュゼッペ・メアッツァ)でもダメ押しの2点目を獲ったし、結果的に得点王にもなったし。

この時期ヴィアッリはゴール後にトンボ返りをしていたのが印象的でした。

 

翌91-92シーズンではチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)で決勝まで進んだし、サンプドリア黄金期のエースと言える活躍でした。

 

ユーべでもすごかった

ユーべに移籍してからは、ファブリツィオ・ラバネッリ、アレッサンドロ・デルピエロと3トップを組んでセリエA獲得&チャンピオンズリーグ制覇に貢献していました。

 

 

この当時ラバネッリとやっていた、今で言うところのハイプレスは凄まじかったです。

チャンピオンズリーグ決勝で、当時「無双」と言える強さだったファンハール監督率いるアヤックスを相手にガンガンにプレスをかけていて、アヤックスの選手がテンパる場面が何度もありました。
ダニー・ブリントやフランク・デブール、エドガー・ダービッツ、ヤーリ・リトマネン、パトリック・クライファート等々がいたアヤックスを相手に(汗)。

アクロバティックなゴールを決めたり、前線から積極的にプレスをかけたり、サンプドリア時代とは違った形でヴィアッリはユーべでも活躍していました。

 

指導者としての活躍を見たかった

チェルシーに移籍してしばらくしてからプレイングマネジャーも経験していたし、つい最近までイタリア代表でコーディネーターとしてマンチーニをサポートしていたので、健康状態に問題がなければ次期イタリア代表監督などの可能性もあったのだと思います。

サンプドリア時代やユーべ時代に味方選手を引っ張るリーダーシップを持っていることを知っていたので、指導者として活躍するところを見たかったです…。

58歳は若すぎます…。

 

久しぶりに90-91シーズンのサンプドリアの映像を見たくなりました。
パリュウカ、ランナ、ヴィエルコウッド、トニーニョ・セレーゾ、ロンバルド、ドッセーナ、マンチーニ、ヴィアッリといった選手の活躍が素晴らしかったシーズンでした。

 

Riposa in pace, Gianluca

 

 

 

書いた人

ダイ
ダイ
スポーツを見るのも好きなトレーニングジャンキー。サブ3.5を目指す(あと6分弱…)自称中級市民ランナー。
見る方では、海外サッカー、マラソン、トライアスロン、格闘技全般、NBA、ラグビーが主な守備範囲。
公認会計士 税理士
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