根性論は好きではないけれど、振り返ってみると根性がカギだったことが多い
根性論。
「何事も根性で乗り切ろう」、「根性さえあればどうにかなる」みたいな考え方は、個人的にはあまり好きではないです。なんとなく。
「ゆくが~おと~この~ど根性♪」の『巨人の星』や
「根性 根性 ド根性~♪」の『ド根性ガエル』は、むかし好きでアニメをよく見ていましたけど(笑)。
「もっとラクに(カンタンに)できないだろうか?」とか、最短距離で出来ればそれに越したことはないだろうと、上手い方法を考えることが多いです。
なのですが、わが身を振り返ってみると、ところどころでカギとなったのは「根性」だったような気がしています。
試験勉強、受験勉強は「根性」なしに語れない
学校の試験や入学試験、資格試験等の試験勉強は、「根性」しかなかったように思います。
特に秀でた才能があったわけでもないので、「覚えることは覚えて、考えるところは考えてみて」をただひたすらやっていたような感じです。
スポーツ選手じゃないけど、
「これだけやったんだから他のヤツには負けないだろう」
みたいな自信をつける意味合いもあって一心不乱にやっていたような。
今になって
「あの時、徹夜で勉強していたのはどうだったんだろう? ちゃんと寝といた方がしっかりインプットできてたんじゃないか?」とか
「あの頃の勉強はもう少し効率的にできただろうし、そうしていれば結果も違ったかもなぁ」
と思うこともありますが、当時の私には「やるしかない!Just do it!」というマインドしかありませんでした。
マラソンも減量も
勉強以外でも、何かと「根性」がカギだったことが多いような気がしています。
仕事は他人の評価に委ねられるものが多いですが、結果的に評価された仕事は「根性」丸出しのプロセスでやったものが多かったりします(苦笑)。もちろん昔も今も周囲の方々にたくさん助けてもらっていますが。
フルマラソンでも、30~35kmあたりで「もうダメかも。キツい……リタイアしよっかな」というのが一瞬アタマをよぎることがあっても、一度もリタイアせず完走してきたのは、単純に「根性」を出していたからだったような。
今やっているコロナ太りからの減量も、ダンベルやケトルベル、マット、腹筋ローラーを買い揃えて言い訳できない状況にしているものの(笑)、毎日コツコツやってちょっとずつ絞れ始めているのは「根性」あってこそかと。
まだ道半ばですけど、続けていることのベースになっているのは「根性」なのかなと思っています。
「根性」そのものではなく、「根性ありき」の考え方がアレなのかも
簡単ですけど振り返ってみると、別に「根性」がキライというわけではないんだと感じます。
「根性」で乗り切った自分は好きだし、「根性」を出さなかった自分は嫌いだし。
プロスポーツを見ていても、スマートにひょいひょいと上手くプレーするチーム・選手よりも、泥臭く根性むき出しでプレーするチーム・選手の方が好きだったりします。
なんというか、「根性」そのものがイヤなのではなく、初めから根性ありきな考え方、メンタリティが好きではないのかもしれません。「やる前から根性とか言うんじゃない!」みたいな。
ということで、根性論が好きではないことは変わらないですが、ところどころで根性は大事だよということは否定しないでいようと思います。
上の娘の期末試験が近づいているけど、初めから根性論でハッパをかけたりしないように気をつけようと思います(笑)。
書いた人
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スポーツを見るのも好きなトレーニングジャンキー。サブ3.5を目指す(あと2分ちょっと…)自称中級市民ランナー。
見る方では、海外サッカー、マラソン、トライアスロン、格闘技全般、NBA、ラグビーが主な守備範囲。テニスもMLBも陸上競技も好き。
公認会計士 税理士
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