背番号「14」は「ヨハン・クライフの番号」として永久に記憶される

何か書こうと思っても何から何まで書こうか分からないけど(苦笑)、やっぱり今日はこの人について書いておきたいと思いました。

私がサッカーを始めた時、というか、私が生まれた時にはすでに偉大な選手だったのですが、プレーを一目見て(文字通り)すぐに「すごい!」と思った数少ない選手の一人でした。

「11」よりも大きい背番号の象徴

いつも最初にイメージするのは背番号「14」です。

70年代~80年代は、サッカーではスタメンの選手が「1」~「11」を着用するのが通常でした。単発の試合でもそうだったし、背番号が登録制の大会でもそうです。

なので、当時の優れた選手は、ほとんど全員が背番号は「1」~「11」でした。

多分、この人が初めてでしょう。
サッカーで「11」より大きい背番号をポピュラーにしたのは(ゲルト・ミュラーの「13」もありますけどね(^^))

「14」を着けた理由は、「9番はディ・ステファノ、10番はペレの背番号だから」ということで、「14番を自分の背番号にする」という意図があったそうです。

本当にそうなりました。
今でも「14」の選手を見れば、「あっ」とすぐに連想するのはこの人です。

契約に対する姿勢

現役時代はプーマと契約していて、プーマのスパイクを愛用していました
(そういえば、ペレもマラドーナもプーマでしたね)

オランダ代表は当時、スパイクもユニフォームもアディダスと契約していたので、選手はアディダス製品の使用を義務付けられたのですが、この人だけ断固拒否してプーマのスパイクに、2本線のユニフォームを着用していたのは有名な話です。

今ではありえないことでしょうけど、そこまでメーカーとの契約に忠実だった(こだわった?)選手は初めてだったのではないかと思います。

1992年バルセロナ五輪のバスケットボールの「ドリームチーム」で、マイケル・ジョーダンを初めとするナイキ契約選手が、アメリカ代表ジャージのリーボックのロゴをアメリカ国旗で隠して表彰式に出たのも有名ですが、1970年代当時では超異例だったと思います。

バルサの象徴

バルサの歴史は、この人抜きに語れないでしょう。選手としては、マラドーナやホナウド、ホナウジーニョ、グアルディオラ、チャビ、イニエスタ、メッシ、ブスケツ……と、すごい選手がいたし、これからも出てくるでしょうけど、やっぱりこの人は特別じゃないかと。

選手として、だけでなく監督としての功績も素晴らしいので。バルサにリーガ4連覇と欧州チャンピオンズ・リーグ(当時のチャンピオンズ・カップ)初制覇をもたらしたし、今の「攻めてよし、守ってよし」、「強くて、しかも魅せる」、「ポゼッション・フットボール」のベースを作った人だと思っています。

監督だった当時は基礎的な練習ばかりをさせていて、選手は不満が多かったそうですが、監督が選手の誰よりも上手いので誰も逆らえなかった、なんていう逸話も以前に雑誌で見たことがあります。

そんな監督、なかなかいないでしょう(汗)

とにかくすごかった

昨夜からいろんな媒体で記事になっていると思うので、なるべくプレー以外のことを書いてみたけど(他にもハーフタイム中に一服とか、チュッパチャプスとか、金言が多いとか、いろいろある)、やっぱり凄い選手でした
(監督としても凄いので、「サッカー人」と言う方が適切かも)

サッカーでこの人以上の評価ができる人って、ペレとマラドーナとベッケンバウアーぐらいでしょうか?選手としても監督としても偉業を成し遂げたのは、ベッケンバウアーとこの人ぐらいしかいませんし。

(ちなみにベッケンバウアーとの違いは、ベッケンバウアーが代表チームの選手&監督として初めてW杯制覇したのに対し、クラブチームの選手&監督として初めて欧州制覇したというところ。そういえば、1974年W杯西ドイツ大会の決勝戦ではキャプテン同士でしたね)。

68歳。私の父と同い年。まだ若いです。
しかも、ついこないだ「2-0でガンに勝っている」ってコメントしていたのに…

今週末は久しぶりにハイライトビデオをいくつか見ようかなと思います。

RIP Johan Cruyff

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ダイ

ダイ

1975年1月生まれ。スポーツを見るのもやるのも学ぶのも大好きな41歳。サッカーではGKからFWまで全ポジションに対応(もちろんアマチュアレベル(笑))。ボクシングではディフェンス重視のアウトボクサー。フルマラソンはサブ4。東京マラソンに10年連続ハズレ中…BlackBerryとOAKLEYサングラスを愛用。 公認会計士 税理士