W杯と残念ながら縁がなかった名選手

ご存知の通り、サッカーW杯はオリンピックと同様、4年に一度に開催されます。

いや、4年に一度しか開催されません。
しかも、チームが地域予選を通過して初めて本大会に出場することができます。そのため、どんな名選手でもタイミングや環境等によってW杯と無縁となることがあります。

私がすぐに思い浮かぶ「W杯と(残念ながら)縁がなかった名選手」というと、この8人になります。

mundial-mexico

W杯と縁がなかった名選手

アルフレッド・ディ・ステファノ(スペイン)

過去に私のブログに何回か登場している往年の名選手です。最も初期の「背番号9」の象徴的選手です。2008年にはジダンやラウールを抑えて「レアル史上最高の選手」にも選ばれています(今年7月に亡くなりました)。

そんなディ・ステファノですが、意外なことにW杯に出場したことが一度もありませんでした。当時のスペインがチームとしても強くなく、また内戦等のお国柄の事情もありなかなかチャンスがありませんでした。唯一、1962年大会に召集されたものの、ケガのため出場できませんでした。

間違いなく。今回リストアップする選手の中でも最高の選手です(何しろサッカー史に永遠に残るような名選手です)。ディ・ステファノ一人だけでも「W杯との縁」は大きいなあと感じさせられます。

ジョージ・ベスト(北アイルランド)

マンUの「7番」の象徴的選手です。マンUの栄光の「7番」は彼から始まりました。当時はメチャメチャモテていたので、ピッチ外でも大活躍だったという逸話もたくさんあります(笑)。現役引退後は酒とギャンブルにハマってしまい、最期まで現役時代のような輝きがなく生涯を終えてしまいましたが、今でもマンU史上最高の選手の中に必ずノミネートされる偉大な選手です。

そんなベストも、残念ながらW杯とは無縁でした。北アイルランド代表は、彼が現役当時強くなかったからです。W杯には1958年、82年、86年に出場していますが、彼が現役バリバリだった60~70年代は欧州予選で敗退していました…。

ジョージ・ベストや後述のライアン・ギグスの名前を挙げると、英国4協会の「カベ」の大きさを改めて感じます。「英国代表」だったら、「ドリームチーム」のような感じになったかもなあと思うのです(だから「ドリーム」なのでしょうけど(^^;))。

ケビン・キーガン(イングランド)

1960年代~80年代にかけて活躍した名選手です。ドイツ(当時の西ドイツ)のハンブルガーSVでもプレーしていました。私もサッカーを見始めた当初、イングランド代表でキーガンがエース的存在だったことは覚えています(まだイングランド代表のユニフォームが「UMBRO」製ではなく「Admiral」製でした)。

イングランド代表キャップが60以上あるのに、W杯とは無縁でした。70年代はイングランド代表自体が欧州予選で敗退し、82年スペイン大会には1試合出場したのですが、入浴中のケガで1試合だけに終わってしまったのです…。

W杯直前や大会中のケガというのも大きいです。そこでケガして「それじゃあ4年後♪」というわけには簡単にはいきませんからね……

ベルント・シュスター(西ドイツ)

80年代の「ゲルマン魂」テンコ盛りの西ドイツ代表の中にあって(笑)、唯一ドイツ人らしからぬ「ファンタジスタ」的な選手でした。タフなフィジカルや精神力ではなく、センスで勝負するような、一味違う持ち味の選手でした。

西ドイツ代表では1980年にEURO優勝に貢献したにもかかわらず、W杯では82年スペイン大会には、ソリが合わない選手の存在により参加辞退。84年には、まだ24歳なのに代表引退を宣言してしまいました。

86年、90年大会の前には、「皇帝」フランツ・ベッケンバウアー監督(当時)から何度も出場オファーを受け、94年大会前にもベルティ・フォクツ監督から要請を受けていたのに、「大人の事情」で合意に至らず、結局W杯とは縁がなく選手生活を終えました…。

90年大会は優勝したのでアレですが、その前の82年、86年大会は「出場していたらどうなっただろう?」と想像してしまいます。どちらかは準優勝よりも良い成績だったかもしれません…(もちろん、悪い成績の可能性もあります…)。

ジョージ・ウェア(リベリア)

90年代中頃に、ミランで大活躍したFWです。ファン・バステン引退後のミランの「9番」です。
当時のミランでの活躍は驚異的でした。フィジカルに優れていて、70mぐらいを単独ドリブルして得点したこともありました。

瞬間風速的な大活躍だったので(「一発屋」とも言う?)、唯一1998年大会が可能性を感じさせるタイミングでしたが、リベリア代表はアフリカ大陸予選で敗退でした…。もし本大会に出ていたら、得点王やチームの大躍進はできなくても、強烈なインパクトの残るゴールを決めていたのではないかな、と思います。

ライアン・ギグス & ネヴィル・サウスオール(ウェールズ)

ギグスはおそらく説明不要でしょう。マンUでカガワ選手ともチームメイトだった名選手です。17歳当時から見ていましたが、当時はスピードを活かして左サイドを切り裂いていました(笑)。年齢とともにプレースタイルと持ち味を変えて、結局40歳まで現役を続けたのは素晴らしいの一言です。個人的には、マンUの「11番」は永久欠番にしても良いと思います(7番も)。

ネヴィル・サウスオールは80年代にエヴァートンで活躍したGKです。英国4協会の「カベ」がなければ、86年、90年大会では間違いなく「英国代表」の正GKだったであろう名GKでした。

二人ともウェールズ代表ということで、W杯とは縁がありませんでした。つくづく残念だったなあと感じます。

サンティアゴ・カニサレス(スペイン)

最後は、個人的に好きなGKだったカニサレスです。カニサレスは、「イルクナーの前(=カシージャスの前の前)」のレアルの正GKでした。「フランシスコ・ブーヨの後」ですね。

レアルでも活躍したのですが、98年にバレンシアに移籍してからの活躍の方が目立っていました。「脂がのった」とか「円熟味を増した」という表現がぴったりで、的確な指示と判断力で、派手なセービングよりも安定感を強く感じさせるGKになりました。DFへのコーチングも素晴らしく、2000~2004年辺りの強かったバレンシアの中心選手の一人でした(ちなみに、当時の監督はラファエル・ベニテス)。

そんなカニサレスは、スペイン代表でW杯に出場したことが1試合だけあります。98年大会で、当時は第2GK。たまたま正GKのスビサレータが出場停止処分中だったため、1試合だけの代役出場でした。

続く02年大会では正GKとして登録されていたのに、大会直前にホテルでコロンだかローションの瓶を落としてしまい足に怪我を負ってしまったため、不参加……(ここからカシージャスがスペインの正GKとして活躍したのでした)。カニサレスのW杯での活躍を見たかった私としては、非常に残念でした。

終わりに

「たら・れば」の通用しない世界ですが、こうしてリストアップしていくと、やっぱり「見たかったなぁ…」と思ってしまいます(笑)。

日本代表に関して「次がある!」、「次こそは!」と思っている選手・サポーターも多いでしょうけれど、「次」の保証はこれっぽっちもありません。まだアギーレ新監督の実力は未知数ですし、アジアサッカーの変化の仕方も未知数です。

「予選を突破する、代表23人に選ばれる、コンディションを崩すことなく本大会まで迎える、試合のその日に監督に選ばれる」の全ての要件を満たして初めてW杯のピッチに出られるわけです。

「自分たちのサッカー(でしたっけ?)」ができる・できないとかに関係なく、選手には90分間を完全燃焼してほしいものですが、4年後はどうなるでしょう?

The following two tabs change content below.
ダイ

ダイ

1975年1月生まれ。スポーツを見るのもやるのも大好きな41歳。サッカーではGKからFWまで全ポジションに対応(もちろんアマチュアレベルで(笑))。ボクシングではディフェンス重視のアウトボクサー。フルマラソンはサブ4。東京マラソン10年連続ハズレ中…BlackBerryとOAKLEYサングラスを愛用。 公認会計士 税理士

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする