94年サンマリノGPからちょうど20年・・・

今日、2014年5月1日は「あの日」からちょうど20年です。
普段それほど意識していなかったのですが、昨日チラッとネットの記事を見て思い出しました。

「あの日」のことはまだ鮮明に覚えています。

当時私は大学生で、F-1を見るのも好きでした。
あの頃は(私が当時好きだった)ライバルのアラン・プロストが引退して、若きミヒャエル・シューマッハー(当時ベネトン)が台頭してきた頃でした。

そんな時に、アイルトン・セナがウィリアムズ・ルノーで苦戦していました。

Senna-Marnino-GP

イモラでのサンマリノGP。
フェラーリの本拠地だし高速コーナーの多いコースなので、このイモラでのレースは毎年注目していました(一番見ていた頃、プロストがフェラーリ所属でした)。

前日の予選でローランド・ラッツェンバーガーという選手が大クラッシュして死亡する事故があり、当時の現場はけっこうピリピリしていたのではないかと思います。

まさか本戦でセナが同じ運命になるとは思ってもいませんでした……。

当時、深夜にTV中継を観戦していたのですが、タンブレロ・コーナーでセナがコースアウトして猛スピードでコンクリートウォールに突っ込んだ瞬間に

「ああ~~っ!!!」

と叫んでしまいました。

赤旗が降られて、レースは即刻中断。
ただ、初めは「よくある大クラッシュが発生した」ぐらいの認識でした。
(「なんであそこにタイヤバリアがないんだよ」とは思っていました)

クラッシュ直後にセナの頭(ヘルメット)が少しだけ動いていたので、「あ、大丈夫かな?」と思っていました。

しかし、すぐに周りのオフィシャルが慌てて駆けつけて、だんだんとセナを取り囲む人が増えていきました。様子が分からない。そして、実況の人も状況が全然把握できていない様子。

しばらくして救急用のヘリが飛んできて、搬送することになったのですが、その時に状況の深刻さが分かりました。その場で応急処置をしていて、地面が大量の血で染まっていたのです(後から知りましたが、内出血がひどかったので内出血した血液を外へ出していたそうです)。

「おいおいヤバいぞ。どうなるんだよ?」と思っていたのですが、ヘリでの搬送後にレースは再開。一見普通にレースが終わりました。

しかし、セナの状況が分からない私(と弟)は眠れずにTVを見続けていましたが、そこでセナが亡くなったことを知りました。

(1年ぐらい経って本を読んで知ったのですが、コースから外れてクラッシュする1秒弱の間に、セナは反射的にギアを6速から2速に変えていたそうです)

TVで見ていた人が亡くなるその時をTV中継で見る、というのは初めてのことだったので、ものすごく衝撃でした。しかも、それがあのアイルトン・セナです。

あの日以降、F-1ではシューマッハーが「皇帝」として君臨して無敵の強さを誇るようになりましたが、F-1に対する自分の思い入れは急減しました。常に「セナがいたらどうなっていただろう?」という見方になってしまったからです。

Ayrton_Senna_Spa_memorial

20年経った今でもはっきり覚えているということは、よほど自分の中で衝撃だったのだと思います。

しかも、その2か月後に行われたサッカーのアメリカW杯でブラジルが4度目のW杯優勝をした時に、選手たちが

「セナ、4度目の優勝を一緒に勝ち獲ったぞ!」

という内容のポルトガル語が書かれている横断幕を掲げていたのを見て、イタリアが決勝でPK戦で負けた(しかも、最後はR・バッジョがPKを失敗した)悔しさが軽減されたことも記憶に残っているからでしょう。

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あれから20年。早いような遅いような。

あの日以降、F-1では死亡事故は起きていないそうです。
関係者の安全性への意識が高まったからなのでしょう。
これからも起こらないでほしいものです。

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ダイ

ダイ

1975年1月生まれ。スポーツを見るのもやるのも学ぶのも大好きな41歳。サッカーではGKからFWまで全ポジションに対応(もちろんアマチュアレベル(笑))。ボクシングではディフェンス重視のアウトボクサー。フルマラソンはサブ4。東京マラソンに10年連続ハズレ中…BlackBerryとOAKLEYサングラスを愛用。 公認会計士 税理士

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